失望という名の楔(くさび)を薙(な)ぎ払うのは情熱だと思います。この情熱があればこそ、たとえ心のなかに失望という楔を打ち込まれても、これを弾き返す力が出てくるのだと思うのです。
『悟りの極致とは何か』 P.108
失望という名の楔(くさび)を薙(な)ぎ払うのは情熱だと思います。この情熱があればこそ、たとえ心のなかに失望という楔を打ち込まれても、これを弾き返す力が出てくるのだと思うのです。
『悟りの極致とは何か』 P.108
一生、自分のためだけの人生を生きていてはいけません。若いころは、勉強をしたり運動をしたりと、自分づくりのためにさまざまな活動をし、一人前になって、世の中で一定の地位を占められるようになるまで頑張るというのは、当たり前のことだと思います。しかし、一定のラインを超えたら、「お返しの人生」になっていかなければならないのです。
『青銅の法』 P.38
子育てで失敗する場合、その原因のほとんどは、母親が、自分が犠牲になった部分のコンペンセーション(代償)を子どもに要求しているか、夫に対する不平不満を子どもにぶつけているか、このどちらかです。そして、それが子どもの目には理不尽に見えるので、親子関係がうまくいかなくなったりするのです。
『じょうずな個性の伸ばし方』 P.125
「自助論」が分からなくなった時代に、私も「自助論」を説いている。別に他力による信仰を否定などしていない。ただ、運命に立ち向かっていく各人の強さが、今は求められていると思う。
『自助論の精神』 まえがき
美しさを妨げるもの、それは、「自分があの人に与えた」という記憶ではないですか。それを手柄に思う心ではないですか。「あの人に、こういうふうにしてあげた」と自己満足する心ではないですか。そうです。この部分が魂の光を妨げているのです。
『大川隆法 初期重要講演集 ベストセレクション(1)』 P.282
「人が見ていなければ、いいだろう」と思って悪いことをしている人は、それが魂に刻印されて、顔だちや行動にも出てきます。逆に、悪いものに対して踏みとどまって、自己反省をする習慣をつけると、ストイシズム(禁欲主義)という傾向性が、はっきりと魂に刻印されてきます。
『信仰告白の時代』 P.303
人生は一本だけではいけない場合もあるので、「複線型」に考え、切り替えポイントを考えておく必要があります。その意味での「戦略性」というものが、非常に大事になってくるのです。
『エイジレス成功法』 P.42
どのような人間であっても、この縁起の理法から逃れることはできません。すべてのものは、自分の播いた種をどのように育てるかによって、結果が分かれてくるのです。播いた種のことを「因」というならば、それをどのように育てるかということが「縁」であって、その刈り取りが「果」ということになります。
『心の挑戦』 P.36
「悟り」というものに関しては限界がありません。「これで悟った」ということはないのです。「悟りの入り口に立つ」ということ、また、「悟りを、ある程度、維持する」ということはあっても、悟ったかどうかは、あの世に還ってみないことには分かりません。生きている間中、修行は続くのです。
『真説・八正道』 P.313
人生における勝者・敗者は、受験の成否だけで決まるものではありません。一定期間、地下水のように潜っていて、どこかで噴き出したときに、全然ちがった人間になっていることもあるのです。
『幸福への方法』 P.150
あなたがたは、救世主と共に生きていることを、悟るべきだろう。あらゆる権威を超えて、時代と共に巨大な光が存在していた。それは、今までも、これからも、どんな時代が来ても、神が人類を見捨てなかったということだ。
『大川隆法 初期重要講演集 ベストセレクション(3)』 あとがき
絶対に外してはいけないことがあります。それは、「人間の本質は霊的な存在であり、その霊的な存在が肉体に宿り、地上で人生を送っているのだ」ということです。これは外すことのできない真実です。
これは、宗教においては、非常に簡単な真理なのです。
『救世の法』 P.21
不幸な環境に生まれたとしても、同じような環境のなかにある人が、全員、不幸のどん底まで行かなければならないというわけではないであろう。
その環境のなかで、あなたがたは、心を磨き、自分の道を求めて、一輪の花を咲かせることはできるのではないか。
『信仰のすすめ』 P.47
とにかく明るく、積極的、建設的な生き方を心がけることだ。
愚痴や不平不満ばかり言っていることは、道徳的に悪いだけでなく、悪霊をも引き寄せてしまう。
自分を取り囲む環境も不十分なことが多かろう。しかし、それをも前提にして、どう乗り越えていくかが、人生の本当の意味なのだ。
『エル・カンターレ 人生の疑問・悩みに答える 病気・健康問題へのヒント』 あとがき
「家庭も非常に大事な仕事の場である」と思っていただきたいのです。
人間には、本来、二種類の仕事があるのです。一つは、「家庭の外で働く」というかたちでの仕事、もう一つは、家庭生活のなかでの仕事です。この二つは、どちらも聖なる仕事なのです。
ところが、「外なる仕事は仕事であるが、内なる仕事は仕事ではない」と考える人があまりにも多いのです。彼らは家のなかのことを軽視します。一夜の宿りか何かのように考えて、家庭を粗末にします。しかし、そのツケは、やがて社会全体に回ってくるのです。
『限りなく優しくあれ』 P.215