2021/04/27

●失望を弾き返す情熱

失望という名の楔(くさび)を薙(な)ぎ払うのは情熱だと思います。この情熱があればこそ、たとえ心のなかに失望という楔を打ち込まれても、これを弾き返す力が出てくるのだと思うのです。


『悟りの極致とは何か』 P.108

2021/04/26

●お返しの人生を歩む

一生、自分のためだけの人生を生きていてはいけません。若いころは、勉強をしたり運動をしたりと、自分づくりのためにさまざまな活動をし、一人前になって、世の中で一定の地位を占められるようになるまで頑張るというのは、当たり前のことだと思います。しかし、一定のラインを超えたら、「お返しの人生」になっていかなければならないのです。


『青銅の法』 P.38

2021/04/25

●子育てがうまくいかない理由

子育てで失敗する場合、その原因のほとんどは、母親が、自分が犠牲になった部分のコンペンセーション(代償)を子どもに要求しているか、夫に対する不平不満を子どもにぶつけているか、このどちらかです。そして、それが子どもの目には理不尽に見えるので、親子関係がうまくいかなくなったりするのです。


『じょうずな個性の伸ばし方』 P.125

●運命に立ち向かう強さをもて

「自助論」が分からなくなった時代に、私も「自助論」を説いている。別に他力による信仰を否定などしていない。ただ、運命に立ち向かっていく各人の強さが、今は求められていると思う。


『自助論の精神』 まえがき

2021/04/23

●美しさを妨げるもの

美しさを妨げるもの、それは、「自分があの人に与えた」という記憶ではないですか。それを手柄に思う心ではないですか。「あの人に、こういうふうにしてあげた」と自己満足する心ではないですか。そうです。この部分が魂の光を妨げているのです。


『大川隆法 初期重要講演集 ベストセレクション(1)』 P.282

●傾向性が魂に刻印される

「人が見ていなければ、いいだろう」と思って悪いことをしている人は、それが魂に刻印されて、顔だちや行動にも出てきます。逆に、悪いものに対して踏みとどまって、自己反省をする習慣をつけると、ストイシズム(禁欲主義)という傾向性が、はっきりと魂に刻印されてきます。


『信仰告白の時代』 P.303

2021/04/21

●宗教の必要性 

あの世の世界では、徹底的に「自分とは何か」ということを見せつけられます。「それを少し早めにしましょう」というのが、こういう宗教の流れなのです。「ほんとうはあの世ですることですが、あらかじめ予習しておきましょう。そうするとだいぶ修行が進みますよ」というのが、宗教の世界であるわけです。


『あなたは死んだらどうなるか?』 P.56 

●地上世界の法則

この地上の世界は、原則として、各人の自由意志、裁量に任されているため、本人が「こうだ」と思い込んだ場合には、守護霊であっても変えられません。これは一つの法則です。


『幸福へのヒント』 P.88

2021/04/19

●神の子の使命

人間にとって、魂の修行がきわめて難しいのは、この進歩・進化・発展・繁栄という考え方と、心の平静、また調和という考え方が、そう簡単に両立しないところにあると言ってもよいでありましょう。

しかし、それはあくまでも、人間心におけるところの言い訳にしかすぎないのです。神が、その心において、「進化せよ。しかして調和せよ」と命ずるのならば、その難しい命題にあえて挑戦することこそ、神の子の使命ではないでしょうか。


『信仰と愛』 P.97

2021/04/18

●人生を複線型に変えていく

人生は一本だけではいけない場合もあるので、「複線型」に考え、切り替えポイントを考えておく必要があります。その意味での「戦略性」というものが、非常に大事になってくるのです。


『エイジレス成功法』 P.42 

●上の人に引き立てられる力

上の人に引き立てられ、今いる職場で評価されるという場合、たいてい、その人には「協調力」「協調性」があります。


『経営と人望力』 P.52

2021/04/16

●傷つきやすい人へ

もし、自分が傷ついたり苦しんだりすることばかりを一日中考えているのであれば、「他の人も、やはり、そのように感じることはある」ということを、今一度、思い直したほうがよいと思います。


『人に嫌われる法則』 P.54

●縁起の理法―因・縁・果―

どのような人間であっても、この縁起の理法から逃れることはできません。すべてのものは、自分の播いた種をどのように育てるかによって、結果が分かれてくるのです。播いた種のことを「因」というならば、それをどのように育てるかということが「縁」であって、その刈り取りが「果」ということになります。


『心の挑戦』 P.36


2021/04/14

●「悟り」には限界がない

「悟り」というものに関しては限界がありません。「これで悟った」ということはないのです。「悟りの入り口に立つ」ということ、また、「悟りを、ある程度、維持する」ということはあっても、悟ったかどうかは、あの世に還ってみないことには分かりません。生きている間中、修行は続くのです。


『真説・八正道』 P.313


2021/04/13

●人生における勝敗を決めるもの

人生における勝者・敗者は、受験の成否だけで決まるものではありません。一定期間、地下水のように潜っていて、どこかで噴き出したときに、全然ちがった人間になっていることもあるのです。


『幸福への方法』 P.150

2021/04/12

●漏尽通とは何か

この世的欲望を完全になくすことではなく、この世的欲望に振り回されることなく高度な霊能力を使いこなせることこそ、漏尽通であり、「世間解」という立場、「智慧」の立場とも両立すると考えられる。これは本来の仏陀による新説である。


『漏尽通力』 改訂・新版へのまえがき

2021/04/11

●真なる謙虚さ

真なる謙虚さは、いったい、いかなるところから生まれてくるのでしょうか。

それは、第一には、理想の大きさから生まれてくるのです。人は、理想が大きければ、高ければ、その理想に到達するまでの距離の遠さを思って、「まだまだ、こんなことでは慢心していられない。安心してはいられない」という気持ちになるわけです。

ゆえに、謙虚になるためには、まず、本物の高い理想を持っておく必要があります。


『信仰と情熱』 P.81

2021/04/10

●人生の大方針

人間は自由意志を与えられていますが、「その自由意志を発揮して、その結果、どういう人生行路を生きていくかということに関して、各人が責任を取らねばならない」、そういう大方針があるのです。


『エル・カンターレ 人生の疑問・悩みに答える 幸せな家庭をつくるために』 P.180

●救世主とともに生きている

あなたがたは、救世主と共に生きていることを、悟るべきだろう。あらゆる権威を超えて、時代と共に巨大な光が存在していた。それは、今までも、これからも、どんな時代が来ても、神が人類を見捨てなかったということだ。


『大川隆法 初期重要講演集 ベストセレクション(3)』 あとがき

2021/04/08

●真なる民主主義

真なる民主主義は、徳治政、徳治主義とも一致するものなのです。真に人々が仏神の理想に燃えて努力し、お互いのなかから最高の人を選んでいく過程を取り、そうした人を選んでいったならば、その頂点に立つ者は、最も徳高き者になるのは当然のことです。民主主義の真なるものは、徳治主義とまったく同じものとなっていくのです。


『ダイナマイト思考』 P.249

●より美しく喜びに満ちた世界

『秘密の法』が、あなた自身の「常識」に変わる時、世界は、より美しく、喜びに満ちたものになるだろう。


『秘密の法』 まえがき

2021/04/06

●絶対に外せない真理

絶対に外してはいけないことがあります。それは、「人間の本質は霊的な存在であり、その霊的な存在が肉体に宿り、地上で人生を送っているのだ」ということです。これは外すことのできない真実です。

これは、宗教においては、非常に簡単な真理なのです。


『救世の法』 P.21

2021/04/05

●一輪の花を咲かせよ

不幸な環境に生まれたとしても、同じような環境のなかにある人が、全員、不幸のどん底まで行かなければならないというわけではないであろう。

その環境のなかで、あなたがたは、心を磨き、自分の道を求めて、一輪の花を咲かせることはできるのではないか。


『信仰のすすめ』 P.47

2021/04/04

●自己中と宗教的回心

努力して自己中心的である考えを改め、

他人のことを思いやり、

多くの人のために尽くす人生は、

霊的人生観に目覚め、

宗教的回心を経験した人に訪れる。


(心の指針196「自己中」より抜粋)

●病気・健康問題へのヒント

とにかく明るく、積極的、建設的な生き方を心がけることだ。

愚痴や不平不満ばかり言っていることは、道徳的に悪いだけでなく、悪霊をも引き寄せてしまう。

自分を取り囲む環境も不十分なことが多かろう。しかし、それをも前提にして、どう乗り越えていくかが、人生の本当の意味なのだ。


『エル・カンターレ 人生の疑問・悩みに答える 病気・健康問題へのヒント』 あとがき

●善悪を乗り越えていく力

仏法真理を知ること、それが善悪を乗り越えていくための力です。その力の偉大性を知らねばなりません。


『愛の原点』 P.70 

●ふたつの聖なる仕事 

「家庭も非常に大事な仕事の場である」と思っていただきたいのです。

人間には、本来、二種類の仕事があるのです。一つは、「家庭の外で働く」というかたちでの仕事、もう一つは、家庭生活のなかでの仕事です。この二つは、どちらも聖なる仕事なのです。

ところが、「外なる仕事は仕事であるが、内なる仕事は仕事ではない」と考える人があまりにも多いのです。彼らは家のなかのことを軽視します。一夜の宿りか何かのように考えて、家庭を粗末にします。しかし、そのツケは、やがて社会全体に回ってくるのです。


『限りなく優しくあれ』 P.215