愛の根本にあるのは、聖なる自他一体感であり、自他が一体であるとは、捨てるべき自分ではない、愛すべき立派な自分があるということが前提となる。
すなわち与える愛とは、自分という器に愛が満ちて、その愛が外へとあふれ出してゆく姿なのである。
『原説・『愛の発展段階説』』 P.16
幸福の科学から政治経済的な発言も出ますけれども、これは、天上界から出ている、「この世の文明のあり方を変えなさい」という意見です。
だから、普通の学者が言っている意見と、一緒だとは思わないでいただきたいと思います。
『メシアの法』 P.325
真に信ずるということは、「神と一体になる」ということです。
神と一体になるということは、
神の教えをわがものとし、
わが行動を神の行動とすることであります。
『大川隆法 初期重要講演集 ベストセレクション(7)許す愛』 P.31
「『天才か、そうでないか』という差は、努力の量や経験の量の差にしかすぎないのだ。今、追いつかなかったら、時間をかけてやるしかないのだ」と思ってくだされば結構だと思います。
『夢は叶う』 P.97
他人様を見るときに、失敗や欠点ばかりを見るのではなく、必ず「長所の部分」を同時に見ようとすることが大切だと思います。まず、欠点だけではなく、長所のところも併せて、両方を見る必要があるということです。他人に注意しようとするときには、私はそのような努力をしました。
『大人になるということ』 P.112
自己保存的な気持ちで、自分を護りたいがために、ただただ、「周りが悪い」というような言い方をするのでは、残念ながら、宗教的人格としては修行が一歩も進んでいないと言わざるをえないのです。
『人に嫌われる法則』 P.20
信仰心とはいったい何でしょうか。それは「神の世界を知る力」です。信仰心なくして、この世界を知ることはできないのです。信仰心は「神仏の世界を見るための鍵」なのです。すなわち、信仰心とは、「自分たちよりも上位にあるものたちの考えを、謙虚に学ぼうとする心」なのです。「上位にあるものたちの心や考えを、謙虚に学ぼうとする心」のことを信仰心というのです。
『真説・八正道』 P.98
もともと、人間のなかに宿る光は、神仏の魂の光の欠片です。“かけら”です。ですから、それを単なる塵芥と同じにしてはならないというのは、当然の義務であるわけです。
だから、今こそ、「精神的な戦い」を始めなくてはならないと思います。
『地獄の法』 P.301
天国・地獄は、目に見えない世界のどこかにあるのではありません。
天国・地獄はみなさんが生きている世界と共存しています。三次元世界のなかにあの世の世界が共存しており、人々の心のなかが、そうした世界へとつながっているのです。
『地獄の方程式』 P.15