「子供っぽい大人」というのは、基本的に、「自分には責任がない」として、他人や会社に責任を持っていく考え方をするほうを選ぶ傾向があります。
『大人になるということ』 P.24
私は、千年、二千年の未来に向けて、
人々を幸福に導く源流でありたいのです。
そのための、愛の原点でありたいのです。
そのための、悟りの出発点でありたいのです。
そのための、勇気の原動力でありたいのです。
それが、幸福の科学の目指すものであり、
幸福実現党を立党した私が心底から願うものでもあります。
『政治と宗教の大統合』 P.120
自分自身のエゴによって、人の上に立とうとしてはなりません。「尊い神仏の代わりに、人びとのお世話をさせていただいているのだ」という気持ちを持っていなければ、正当性が生まれることはないのです。私はいま、それを非常に憂いています。
『青春に贈る』 P.119
赤信号を皆で渡れば、青信号に変わるわけではない。
「恥ずべきこと」を恥ずべきこととして感じる力こそ、本当の「常識」であり、人間が死後、「畜生道」という地獄に往かないための鍵である。
『色情地獄論(2)』まえがき
幸福の科学では、愛には「与える愛」と「奪う愛」があるということを説いていますが、本能から出てくる衝動的なものだけでいくと、幸福の科学的に言えば、「奪う愛」的な面がかなり強く出てきます。
恋愛の出発点においては、そういう「奪う愛」的な面は強いだろうと思いますが、その恋愛の期間のなかで、「自分の幸福のために相手から徹底的に奪いたい」と思っていないかどうか、その点を点検してほしいのです。
『青春の原点』 P.117
年を取ったら、人間、やはり「宗教性」は必要だと思います。ただ唯物論的に長く生きればいいというものでもないので、精神的にも豊かな晩年をつくる必要はあると思います。
『ザ・リバティ 2022年11月号』
正しきものが滅びていくのを見過ごしてはならないのです。普遍的価値観を、今、立てるべきであり、やはり、究極の神仏につながる価値観に基づく、いろいろな学問領域や仕事領域の見直しが必要だということです。
『メシアの法』 P.129
人に恨まれ、呪われるようなことに手を出すな。
「人を呪えば穴二つ」のことわざ通り、
相手も不幸にするが、自分の墓穴も掘っていることを知れ。
神仏と人々への愛の祈りに徹せよ。
世界は鏡のように映し合っているのだ。
(心の指針214「呪いに対処する」より抜粋)