「寛容の美徳」は、これも決して道徳的なるものだけではありません。それで他の人が喜ぶからということだけではありません。寛容の美徳には、自らの心の湖面に波を立たせないという美徳があるのです。
『大川隆法 初期重要講演集 ベストセレクション(3)』 P.45
「寛容の美徳」は、これも決して道徳的なるものだけではありません。それで他の人が喜ぶからということだけではありません。寛容の美徳には、自らの心の湖面に波を立たせないという美徳があるのです。
『大川隆法 初期重要講演集 ベストセレクション(3)』 P.45
親切だけは負けないもん。
歌も毎日歌うもん。
いい子にするから、
スクスク光線をあててねー。
そして最後にお願い。
ぼくたちのエル・カンターレを今日も守ってね。
ウィズ・セイビアって、救世主といることだよね。
ヤイドロンさん!ぼくたちの祈りをきいて下さいね。
(楽曲「宇宙人のヤイドロンさん」より抜粋)
自力で解決できるものについてはした方がよいとは思うのですが、自力では解決できず、他人の力を借りても解決できないような問題はあるでしょう。そういうときには、もはや、「祈ること」しかできなかったり、「耐え忍ぶこと」しかできなかったりする場合もありますので、そういう覚悟も要るのではないかと思います。
『何もやる気が出ない人へ』 P.124
ああ、「エローヒム!」
あなたの最愛の人は、
「パングル」だったのか。
やっぱりそうか。
古代のシャネルだったんだね……。
(映画『宇宙の法―エローヒム編―』挿入歌 楽曲「君という奇跡」より)
損得を抜きにして、「誰も言わないなら、あるいは、誰もやらないなら、自分がやる」と言える人が、とても少ないのです。これは、「武士道精神が欠けている」と、はっきり言えます。
『現代の武士道』 P.136
ああ、「エローヒム!」
あなたの最愛の人は、
「パングル」だったのか。
やっぱりそうか。
古代のシャネルだったんだね……。
(映画『宇宙の法―エローヒム編―』挿入歌 楽曲「君という奇跡」より)
逆境のときには自己鍛錬を怠らず、順境のときには愛の種をまく――「与える愛の実践の時は今」ということです。これは単純な考え方ですが、実は、本当に常勝していくための理論なのです。
『常勝思考』 P.230
「霊的世界においては、魂の善悪が、はっきりと判定される」という事実を知ったことは、私の悟りのなかで、一つの重要な判断基準になりました。この世のことについては、いろいろな意見があり、各説、各派が分かれて議論をし、民主主義的に多数決で決めていますが、霊的な面から見た場合には、物事の善悪は、はっきりしていて、迷いようがないのです。
『生命の法(いのちのほう)』 P.175
「真理を知らない」ということを、「愚かである」と言っているわけです。これが「貪・瞋・癡」の「癡」です。たとえ、この世的にどれほど偉い人であっても、真理を知らずに一生を生きるのは悲しいことです。
『あなたの知らない地獄の話。』 P.249
人間は、失意のときには、みじめな自己像しか見つめていません。他人のことなどまったく目に入らず、人からほめられても、お世辞かお追従にしか感じなくて、みじめな自己像にしがみついてしまうのです。
こうしたときにこそ、目を外に向け、他人のよいところを見つけて、ほめることが大切です。素晴らしいところがあれば、「素晴らしい」と言い、おいしいごちそうを食べたならば、「おいしい」と声に出してみるのです。
『「幸福になれない」症候群』 P.73
心がそちらの方向に向いて、「自分自身を立て直そう」「悪いものから離れよう」という気持ちを持てばこそ、幸福の科学の根本経典である『仏説・正心法語』や私の説法の音声等にも効き目が出てくるのです。逆に、「自分自身は、何かで簡単に助かろう」と思っているような感じの人、ある意味でのエゴイズムで霊的なものを解決しようとしている人たちには、残念ながら、そうはならないケースが多いと思います。
『真のエクソシスト』 P.71